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Kim Koo Museum & Library

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MY DESIRE

私の念願する、われわれの国家

わたしは、われわれの国家が、世界でもっとも美しい国となることを願っている。もっとも富強な国となることを願うものではない。おのれが他人の侵略に胸を痛めさせられたのだから、おのれの国が他国を侵略することを望まない。われわれの富は、われわれの生活を豊かにするにたりればじゅうぶんであり、われわれの力は、他国の侵略を防ぐにたりればじゅうぶんである。

わたしが教育に期待していたのは、まさにこのことだったのである。わたしは今、よわい七十を越え、みずから国民だが、かぎりなく多く持ちたいものは、高い文化の力である。文化の力は、われわれ自身を幸福にするばかりでなく、さらに進んでは、他国へも幸福を与えるだろうから。現在の人類に不足しているものは、武力でもなければ経済力でもない。自然科学の力は、いくら多くても困りはしないだろうが、人類全体としてみた場合、現在の自然科学だけでも、樂に暮していくためにはじゅうぶんである。人類が現在において不幸であることの根本理由は、仁と義が不足し、慈悲の心が不足し、愛が不足していることである。このような心を発達させることさえできれば、現在の物質力をもって、二十億がみな満ち足りた生活をしていくことは可能であろう。人類のこのような精神をつちかうものは、ただ文化あるのみなのだ。

わたしは、われわれの国家が、他国をいたずらに模倣する国になることなく、このような高度の新文化の根底を築き、目標とあおがれ、模範となることを願っている。そして、真の世界平和が、わが国から、わが国によって、世界中に実現されていくようになることを願っている。


「弘益人間」というわが国祖 タングン檀君 (四千三百年ほど前に朝鮮最初の国家を自主的に建てたとされるまた、わが民族の知恵と精神力と過去における鍛錬の蓄積は、この使命を達成するにじゅうぶんなものであり、わが国土の位置やその他の地理的条件もまたそれにふさわしく、そして、両次にわたる世界大戦という犠牲を払った人類の要求は熟しており、そのような時代に新たに国家を復興する現在のわれわれの時代こそ、それを行なうべき時であると信ずる。

わが民族が主演俳優として世界の舞台に登場する日が、目の前に見えるではないか!
この事業を成し遂げるべく、われわれがなさねばならぬ事業は、思想の自由を確保する政治様式の創出と、国民教育の完備である。わたしが、右に、自由の国家ということを強調し、教育の重要性について述べたのも、まさにこのためなのである。

最高文化の建設という使命を達成すべき民族は、一言をもっていい尽すとすれば、すべての者が聖人であるような状態を作り出さねばならない。大韓民国の人であれば、どこへ行っても信頼を受け、礼遇を受けるようにならねばならない。われわれの敵がわれわれを抑圧していたときには、憎しみと憤りの殺伐な闘争の精神を育成してきたが、敵がすでに退いた以上、われわれは、憎郡の闘争を捨て、和合の建設をもっておのが任務(にんむ)とすべきときなのである。家の内部に不和があれば家は亡び、国家の内部で対立して争い合えば国が亡びる。同胞の間での憎郡と闘争は、滅亡の きざし兆 である。われわれの容貌には、おだやかさが満ちていなければなしゅんぷんたいとう春風駘蕩 でなければならない。これは、わが国民一人一人が、ひとたび心最高の文化によって人類の模範となることを使命とするわが民族の各人は、利己的な個人主義者であってはならない。われわれは個人の自由を極限まで主張するが、それは、かの獣たちのように、われ勝ちにおのが腹を満たすための自由ではなく、おのれの家族、おのれの隣人、おのれの国民がよりよく暮せるようにするために用いられる自由である。公園の花を育てる自由なのである。

われわれは、他人のものを奪い取ったり、他人の恩恵にすがろうとする人間ではなく、家族に、隣人に、また同胞に、与えることをもって喜びとする人間である。われわれのことばでいうところの「 ソンビ?? 」(有徳な知者)であり、「 チョムチャヌン??? サラム?? 」(おだやかな人)なのである。 したがって、われわれは、怠ることなく、勤勉である。愛する妻子を持った家長は、勤勉でなければならないのだ。かぎりなく与えるために! 苦しい仕事は、自分が先頭に立って行なう。愛する同胞をいたわって! 樂しいことは他人に勧める。愛する者のために! これは、わが祖先たちが尊んだ「仁厚の徳」ということにほかならないのである。

このようにすることによって、われわれの国家の山には森林が生い茂り、野には五穀百果が豊かに実り、村落と都市は、清潔になり、繁栄し、平和になるであろう。しかも、わが同胞すなわち大韓民国の人は、男女を問わず、顔にはつねにおだやかな表情を浮かべ、身にはつねに徳義の香りを漂わせているようになるだろう。

このような国家は、不幸になりようがなく、また亡びようがないのである。
民族の幸福は、けっして階級闘争によってもたらされるものではなく、個人の幸福も、利己心によってもたらされるものではない。階級闘争は、かぎりない階級闘争を生み、国土には流血の乾くいとまがないであろう。おのれが利己心によって他人を傷つけるならば、天下がすべて、やはり利己心から、おのれを傷つけるであろう。したがって、これらは、わずかな物を得て多くを失う結果をもたらすのだ。日本がこのたび受けた報復は、国際的、民族的関係においても同様であることを証明する。もっともよい実例である。

以上述べたところは、わたしが念願する新国家の姿の一端を描き出したものである。
同胞の皆さん! このような国家が建設されたなら、どんなによいことだろうか! われわれの子孫にこのような国を譲り渡せたなら、どんなにか満足であろう! 昔、中国の箕子(中国の古典に見える伝説上の人物で、のちに事大主義的な儒者たちが朝鮮の建国伝説に府会した)は、わが国を慕って來た。孔子さまも、わが民族の住む土地に來たいといわれ、わが民族を「仁」を好む民族であるとされた。過去においてもそうであったが、未來においては、世界の人類がすべてわが民族の文化をそのように思慕するようにさせずして、満足しえようか?

わたしは、われわれの力によって、とりわけ教育の力によって、必ずや、この事業は成し遂げうるものと信ずる。わが国の青年男女のすべてがこのような心を持つようになるならば、どうして、それが成し遂げえないことがあろうか?

わたしも、かつて、黄海道において教育に従事したことがあるが、当時教育に従事するのにじゅうぶんな時間を持っていないが、わたしは、満天下の教育者および男女学徒諸君が、大悟一番、大きく心を新たにされんことを祈ってやまぬものである。